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■中川 100年に一度と言われる今回の世界同時不況は何故起きたのか、今後、世界はどうなるのか、また日本はどうすればよいのか、といった問題について、多くの政治家、経済人、学者、ジャーナリストなどが発言しています。さて、そこで、私の最も尊敬する大蔵省の先輩であり、上司でもあった武藤敏郎さんの御見識をぜひとも伺いたくお時間をいただきました。武藤さんは財務事務次官を務めた後、日本銀行副総裁を経て、現在、大和総研理事長として御活躍されています。
2008年9月の米リーマン・ブラザーズの破綻から、100年に一度と言われる金融危機、経済危機が世界を襲いました。その前に、サブプライムローン問題が発生し、金融資本市場の混乱が起きたのですが、その時点では、ここまでの世界的金融危機に発展すると予想した人は余りいないと思うのです。どうしてこういうことになったのでしょうか。
■武藤 サブプライムローン問題は、2007年8月、BNPパリバ傘下のSIV(銀行の別動隊である投資会社)が資金繰り問題を起した、いわゆるパリバショックでスタートしました。これによって、一般のマーケットがはじめてサブプライムローン問題を認識しました。 |
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私が日銀にいた2006年の末頃には、アメリカの住宅価格はもう下落し始めました。関係者は、この時すでに、いわゆる住宅バブルの崩壊が始まっていたという見方をしていました。それがBNPパリバによって、金融問題として認識されるようになりました。ただ、その直後、米連邦制度理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)をはじめとする世界の主要銀行が相当の資金供給を行い、この問題は一旦沈静化しました。
当時、バーナンキFRB議長は、この損失は500億ドルから1,000億ドル程度と言いました。これは後からみれば明らかに過小評価でした。
■中川 間違いなく、過小評価でしたね。
■武藤 その後、いろいろ紆余曲折がありましたが、2008年3月に、アメリカの五大インベストメントバンク(投資銀行)の一つであるベア・スターンズが破綻すると、それを救済するために、JPモルガン・チェースがベア・スターンズを吸収合併することになります。これは、ある意味で裁量行政だったと言えましょう。
■中川 JPモルガン・チェースを紹介したのも当局ですか?
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武藤敏郎 [ むとう としろう ]
昭和18年埼玉県生まれ。昭和41年東京大学法学部卒業。大蔵省(現財務省)入省。官房長、主計局長などを経て平成12年大蔵事務次官に就任。その後、日本銀行副総裁を務め、平成20年大和総研理事長となる。趣味は油絵で、個展を開いたこともあるプロ級の腕前。 |
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■武藤 そこは分かりません。しかし、JPモルガン・チェースにニューヨーク連邦銀行が買収資金を供給していますので、順番が先か後かは別として、当局が関与したことは間違いないと思います。そこで一旦、危機を乗り切ります。
ところが夏になると、ファニーメイ、フレディマックという住宅専門の証券化商品を扱う政府系住宅金融機関(GSE)に信用不安が起きました。これにはアメリカ政府は公的資金を投入し、一種の国有化のような形で処理しました。
そして、9月になると、リーマン・ブラザーズの破綻。メリルリンチのバンク・オブ・アメリカによる買収と続き、一挙に金融危機になっていきました。
この経緯を見ますと、日本のかつての金融危機の場合よりはるかに早いペースで事態が進展したといえます。その背後には十数年前の日本のバブル崩壊の頃に比べて、金融市場が非常に大きく発展し、かつ、グローバルになっていたということがあると思います。
何故こういうことになったのかを分析するには、どうしても証券化商品のことをお話しなければなりません。
1970年代に、アメリカで、多数の住宅ローン債権を一つにまとめた「住宅ローン担保証券」という証券化商品が開発されました。いわゆる金融イノベーションと言われるものです。ローンの流動化が可能ということもあり、金融機関にとって便利であると同時に、ヘッジファンドや投資家、さらには一般国民にとってもメリットのある投資対象商品として、非常にポジティブな評価がされていました。
ところが、証券化商品に金融工学というものを導入することによってだんだん複雑なものになり、証券化商品のそのまた証券化などという商品が出回ることになってきたわけです。
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■中川 複雑になると、一部の人にしか商品の仕組みが分からなくなってしまいますね。
■武藤 その結果、問題が発生した時には、不透明感から来る信用不安が起り、そこで一気に価格が下落していったのです。
その後、金融危機がどんどん拡大して行くわけですが、今から振り返れば、これには3つの反省点があると私は思います。
1つ目は、証券化商品を組成するインベストメントバンクが、レバレッジ(てこの作用)を効かして、少ない資本で借金をして大きな事業を展開し、商品を売りさばくことによって、手数料ビジネスをやったわけです。アメリカでも低金利だったから可能でしたが、資本当りの利回りは非常に高いものになりました。当然リスクも大きいのですが、利回りが3割とか4割という金融の世界ではあり得ないことが起こったんです。
それから2つ目は、この10年位の間に、マーケットのグローバル化が非常に進んだということがあります。例えばヨーロッパにお金が余っていれば、ヨーロッパに投資物件が行き、アジアに余っていればアジアに来るといったように非常に効率的な世界市場が形成されていきました。一方、局所のリスクを瞬時にグローバル化してしまうという負の面もあったわけです。
そして3つ目は、金融ビジネスに対する規制ルールが不十分だったことが挙げられます。銀行や証券会社に対しては、1929年の恐慌以来、約半世紀をかけて監督システムや規制ルールを作り、近代化してきました。ところが、格付け機関や保証会社に対する規制、あるいは生命保険会社が扱っていたクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)という金融派生商品などの新しい金融関連ビジネスはまったく規制の枠外でした。そうした事情とアメリカの住宅バブルが合わさって、こうした会社は一時好調な収益を上げてきましたが、ある時を契機に住宅価格が下落した途端に、世界的な金融危機に突入してしまったのです。
■中川 アメリカの住宅バブルが崩壊して、サブプライムローンの問題が起こった時には、レバレッジ化した金融商品あるいはCDSなどが、ここまで深刻な状況になると思ってた人は少なかったのではないですか。
■武藤 日本も1991年のバブルの崩壊によりその後、金融破綻が頻発しましたが、1992年当時の大蔵省が発表した不良債権は8兆円でした。それが1995年になると40兆円になり、最終的には100兆円になりました。全世界でこれとまったく同じことが起こったわけです。
今年の4月にIMFが発表した調査によると、このサブプライムローン問題に端を発する一連の危機で生じたローン及び証券化商品の合計損失額は、世界全体で4兆ドル、つまり約400兆円と言われています。
2007年の秋に500億ドルから1,000億ドルと言われていた数字は、2008年の10月に、同じくIMFが発表した時には9,000億ドル、約90兆円ぐらいになりました。それからわずか半年の間にさらに4倍、5倍に膨らんだわけです。
■中川 この損失額の数字はもっと膨らむのじゃないかとの見方もありますね。
■武藤 私はその可能性があると思います。なぜなら、アメリカの住宅価格の下落がまだ止まっていないからです。2006年6月をピークとした住宅価格は、今、約3割下落していますが、市場では、さらに約10%、つまり約4割下落したところが底だろうと見ています。その時期が来年の中頃だろうと言われています。そうなると、不動産ローンの証券化商品などの価値もさらに下がる可能性はあるでしょう。
ただ、不良資産がかなり顕在化してきましたので、これまでのように何倍にもなるといったことにはならないと思います。
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