中川雅治オフィシャルサイト
トップページプロフィール活動報告私の主張
トッププロフィール > 中川雅治これまでの歩み
中川雅治これまでの歩み
 
 
幼少〜学生時代  
昭和22年2月22日
故中川圭一
故中川圭一
東京の駒場に生まれる。
父中川圭一(故人)は東大医学部助教授や東京共済病院長、また、日本化学療法学会会長などを務め、呼吸器感染症の化学療法が専門の内科医だった。
母中川露子は衛生学者小島三郎(故人)の長女。私の祖父小島三郎は東大教授や国立予防衛生研究所長などを務め、早くから東京都の下水道を完備することを主張し、先駆的役割を果たした人であった。また、全日本スキー連盟の会長を務め、我が国スキー界の草分け的存在であり、高松宮殿下のスキーの師でもあった。
伯父一楽照雄は我が国で最初に有機農業を提唱した人である。
幼稚園時代に下北沢に移り住み、現在も同じところで暮らしている。
家族写真1
5歳の頃、家族で撮った記念写真。
左端が中川雅治(1952年6月)

故小島三郎
故小島三郎
小島三郎博士展1
小島三郎博士展2
昭和34年3月
昭和37年3月
昭和40年3月
世田谷区立東大原小学校卒業。
麻布中学校卒業。
麻布高等学校卒業。
麻布高校時代写真
麻布高校2年の頃 担任の先生を囲んで。
前列左端が中川雅治
昭和44年6月 東京大学法学部卒業。
東大紛争のため卒業時期が6月となった。東大紛争の際、考え方を同じくした仲間と法学部学生懇談会を結成し、今でも強い絆で結ばれている。

大蔵省時代  
昭和44年7月 大蔵省入省。
国際金融局総務課に配属され、一年先輩の村田吉隆氏(元国務大臣国家公安委員長)の隣に席をもらい、毎晩遅くまで公私にわたり指導を受けた。その上の上司は池田行彦氏(故人 元外務大臣)で厳しく鍛えられた。
昭和47年7月 主計局法規課調査主任。
在任中、私の父中川圭一と妻の父原文兵衛が旧制府立四中(現戸山高校)の同級生であったことから見合いをし、昭和48年4月妻美穂と結婚した。
結婚式写真
仲人は当時の主計局長 相沢英之氏(元国務大臣)、司葉子夫妻。
妻の父原文兵衛(故人)は、警視総監の後、東京選挙区で参議院議員となり、環境庁長官、参議院議長を務めた。
妻の母原光子は、北海道の町村農場を拓いた元参議院議員町村敬貴(故人)の次女で、北海道知事や参議院議員を務めた町村金五(故人)は叔父、元内閣官房長官の町村信孝衆議院議員は従弟にあたる。
昭和49年7月 徳山税務署長。
27歳で山口県の徳山税務署長に就任し、税務行政の第一線の責任者として貴重な経験を積んだ。
昭和50年7月 国税庁人事課課長補佐。
昭和52年3月18日出張で乗り合わせた千歳発仙台行全日空724便でハイジャックに遭遇し、他の乗客3人とともに犯人を取り押さえ、警察庁長官、運輸大臣などから表彰を受け、当時ちょっとした時の人となった。
ハイジャック記事写真
事件の模様を報じた新聞
(昭和52年3月19日読売新聞朝刊)。
記事中の写真の右端が中川雅治

*掲載に当たっては「読売新聞社」の許可を得ています。
昭和52年7月 銀行局銀行課課長補佐。
我が国の銀行の長期金融、外国業務の監督を担当し、金融行政に携わった。
昭和54年7月 主税局税制第一課課長補佐。
土地税制、利子課税制度の改正作業に携り、徹夜の続く毎日であった。
昭和59年6月 主税局総務課企画官。
税制の企画・立案作業の総合調整や国会対策を担当した。
大蔵省入省15周年記念記念写真
大蔵省入省15周年記念で夫人とともに。
2列目の左から2番目が中川雅治、前列左端が妻の美穂

昭和60年6月 東京国税局調査第一部長。
大企業の税務調査の責任者を務めた。
平成2年7月 主計局主計官。
文教・科学技術予算の編成を担当した。
平成3年6月 理財局国債課長。
国債の発行市場、流通市場の整備に努力した。
平成4年7月 理財局資金第一課長。
財政投融資計画の編成を担当した。
平成6年7月 福岡国税局長。
在任中、福岡大学法学部非常勤講師を務めたほか、中学、高校に自ら出向き、税金の役割や仕組などを講義した。
中村学園高校写真
福岡市の中村学園高校で税金の役割と仕組を講義
税金展写真
福岡市天神で開催された税金展の
オープニングセレモニーで挨拶、テープカットをする
平成7年5月 国税庁調査査察部長。
全国国税局のマルサを指揮。
平成8年7月 理財局次長。
平成10年、慶應義塾大学経済学部で「金融資産市場論」の講師を務めた。
家族写真2
平成8年7月の写真。
中川雅治と妻の美穂
妻の父 原文兵衛(元参議院議長)と 妻の母 光子

平成10年7月 理財局長に就任。
大蔵省理財局で次長を2年、続けて局長を2年半務め、その間財政投融資制度の改革を成し遂げた。
理財局時代写真
当時の理財局幹部と理財局長室で。
前列右から5番目が中川雅治


環境省時代  
平成13年1月 環境省総合環境政策局長に転任。
環境庁が環境省に昇格すると同時に環境省総合環境政策局長に就任。川口環境大臣の下で各省にまたがる環境政策の調整に汗を流した。又、小中高校の環境教育に尽力した。
平成14年1月 環境省事務次官に就任。
次官在任中は地球環境問題に取り組み、京都議定書の批准、地球温暖化対策推進大綱の閣議決定に尽力した。
平成14年5月 平成14年5月10日、天皇陛下に1時間にわたり皇居宮殿鳳凰の間で地球環境問題について御進講した。
平成15年2月 国連UNEP閣僚級会議に出席。
平成15年2月、ケニアのナイロビで開催された国連のUNEP閣僚級会議に出席し、各国代表と意見交換し、京都議定書の発効を強く働きかけてきた。
平成15年7月 退官
アジアこども会議写真
第8回「アジアこども会議」にて
PCB処理施設建設予定地視察写真
PCB処理施設建設予定地を視察
会議写真
会議で熱弁をふるう。
右は川口環境大臣(当時)
キャサリン・ディEU環境総局長と
キャサリン・ディEU環境総局長と
話し合う
イリーナ・E・オソキナロシア天然資源省副大臣と
イリーナ・E・オソキナ
ロシア天然資源省副大臣
と話し合う
解振華中国環境大臣と
解振華中国環境大臣と
会談前の握手

参議院選挙〜現在  
平成16年7月 参議院議員選挙に立候補。
「東京選挙区」でトップ当選を果たす。

参議院議員選挙写真1 参議院議員選挙写真2
参議院議員選挙写真3 参議院議員選挙写真4
当選直後のインタビュー写真
当選直後のインタビュー
平成18年2月 参議院財政金融委員会理事に選任。
金融商品取引法の成立や公認会計士法の改正に尽力した。
平成18年8月 参議院ODA調査でモンゴル・中国に出張、ODA改善策を提唱した。
平成18年10月 自由民主党総務に就任。
自由民主党の最高意思決定機関のメンバーとして党の政策決定等に参画した。
平成19年1月 参議院憲法調査特別委員会理事に選任。
国民投票法の成立に尽力した。
平成19年8月 自由民主党環境部会長に就任。
平成20年7月の北海道洞爺湖サミットに向けての我が国の地球温暖化対策の取りまとめ等に汗を流した。
平成20年5月 ドイツ政府の招待で自由民主党環境部会長として小池百合子元環境大臣らとドイツを訪問、環境政策推進の現場を視察、関係者と意見交換した。
平成20年9月

参議院文教科学委員長に選任。
公平、円滑な委員会運営に努力。

平成21年2月

日中与党交流協議会に、日本側代表議員として参加。

平成21年7月

与党「低炭素社会づくりに関するプロジェクトチーム」に参画、「低炭素社会づくり推進基本法案」を国会に提出。

平成22年7月 参議院議員選挙
「東京選挙区」で再選を果たす。

参議院議員選挙写真
当選直後の万歳三唱
平成22年7月

参議院沖縄・北方問題特別委員長に選任。
普天間、尖閣諸島、北方領土等の諸問題の審議に力を尽くしている。

 
プロフィール(要約版)

中川雅治これまでの歩み

幼少〜学生時代

大蔵省時代

環境省時代

参議院選挙〜現在
ページトップへ